神前結婚式が国家神道の牽引役として機能したと考えるのは性急にすぎよう。こういうことに長けているのは、宗教者ではなくビジネスマンだ。明治末から大正、昭和にかけて神前結婚式が流行した要因のひとつとして、宗教学者の石井研士は「永嶋式結婚式」をあげている(『結婚式幸せを創る儀式』)。永嶋式結婚式とは、永嶋藤三郎という結納屋の主人が考えだした神前結婚の方式だ。砂糖や鰹節といった結納品の調達商を営んでいた永嶋は、一九〇九(明治四二)年、東京市麻布区飯倉片町に「永嶋婚礼会」という会社を創設し、婚礼に必要なめでたい道具一式のリースと、神職・巫女・雅楽奏者といったスタッフの派遣をセットではじめたのだった。いわば元祖ウエディングプロデュース業である。永嶋婚礼会のパンフレット(「結婚式概要」一九一五年)によると、料金は道具とスタッフ込みで、鶴三五円・亀二五円、松二〇円・竹一五円・梅一〇円。このころの小学校教員の初任給が二〇円。宴会の費用は別とはいえ、まあまあリーズナブルである。また、神前結婚式の魅力は、なんといっても一時間程度で終わる簡便性。家庭はもちろん、ホテルや会館にも出張する永嶋式は、新式の結婚式としておおいに評判になる。
七つの橋や辻をこえて、新たな時空間に入ることを暗示する光景は、別のフィールドであるけれど、長野県更埴市八幡の武水別神社の祭りにおける頭人の姿を思い浮かべる。武水別神社はかつて七郷総鎮守といわれる大社であり、その十二月の祭りは大頭祭とよばれる。そのさい、祭祀を行う五人を頭人といい、最上位の頭人を大頭とよんだ。大頭は一番頭から五番頭の五人の頭人のうちの三番頭がこれにあたる。ある家が頭人の候補になると、まず五番頭を奉仕し、その年を含めて十年間、毎年新穀の御供えを供えつづけることによって、十一年目になってその子が四番頭を奉仕する資格が得られる。そしてさらに十年間同様な状態をつづけてその子が二番頭を、さらに十年間同様につづけて一番頭を奉仕する資格が得られる。大頭は、この一番頭になった家の子が奉仕する資格を得たあとに就任する。このように子々代々御供えを献じつづけ、五代目になってようやく大頭たる三番頭になる資格をもつ。
神道では斎主が葬儀を執り行います。仏教の戒名にあたるものとして「忽1」があります。そのための心づけは不要です。斎主に対するお礼には「御神饌料」「御榊料」「御祭祀料」などの表書きをします。一例ですが、金額は5万円〜50万円が目安です。葬式料として一切を「御玉串料」としてお渡しします。神社庁として金額の取り決めはありません。神葬祭はすべての神社が執り行うとはかどりません。神道でも通夜祭の後、「直会」といって食事と酒をふるまうならわしがあります。斎主にも召し上かっていただきますが、もし辞退したときは「御膳料」を包みましょう。金額の目安は1万円。ほかに「御車代」も必要になります。キリスト教ではお礼は献金の形になります。表書きは「記念献金」「御花料」など。これは教会に対するものですから、神父や牧師には別に「御礼」を包みます。金額は教会によります。教会関係者に率直に尋ねてもいいでしょう。
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