八七年一一月にプラザ合意は根本的な変更を迫られました。イタリア、カナダを加えた七カ国蔵相会議(G7)は「現状水準での為替安定」をうたい、貿易不均衡是正の処方能として、新たに「米国の財政赤字削減と日独などの内需拡大」を前面に押し出します。この合意は開催地にちなんでパリ・ルーブル合意と呼ばれていますが、ルーブル合意では協調介入に関して「自国市場での自国通貨での介入」を取り決め、一定幅の為替相場を想定した参考相場圏(レファレンスゾーン)の下、各通貨当局が自国通貨の変動に対して責任を持つ体制ができあがりました。プラザ合意を「攻めの協調」とすると「守りの協調」への変質といえましょう。その後の介入は「守りの協調」といえるものですが、各国の協調姿勢に足並みの乱れが目立ち、介入による効果はあまり見られません。プラザ合意、ルーブル合意で示された協調体制が崩れたのは、日米欧がそれぞれの事情を抱え、国内の経済政策をより重視する「内向きの姿勢」に変わったからです。
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